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PORSCHE MIYASHITA HISTORY2020-11-04T00:28:31+09:00

オーナーの “ 独り言 ”

ブログページへお越し頂きましてありがとう御座います。

初めに、私の自己紹介をオーナーの“独り言“としてさせて頂きたいと思います。

(株)JMM-CARS’  代表取締役であります私事、宮下実と申します。

1950年11月生まれ 長野県出身の信州人です。

青春時代は本田技研にお世話になりモトクロスのライダーとして

全国を駆け巡っておりました。成績はと言いますと・・・

“関東チャンピオン”を22歳の時に頂きました。

ポルシェとの出会いは24歳の時、ミツワ自動車(株)へメカニックとして入社を致しまして

約8年間、目黒店にてポルシェの356、911、924、928、914など一通り経験させていただきました。

今ではこの経験がクラシックカーラリーに大変役立っております。

後に営業に移転いたしまして、練馬営業所でポルシェのセールスマンとして再スタートしました。

当時1983年頃のポルシェは911CS、Kジェトロエンジンとして最後の3リッターエンジンでした。

また水冷エンジンとして924から944へとモデルが新たにスタートしました。

更に928がありラインナップは3種類のポルシェ陣容でした。

以来、ポルシェセールスとして24年の歳月が流れ販売したポルシェは1000台を超えています。

また、ミツワ自動車在籍中には販売インセンティブツアーにも参加させていただきました。

ポルシェ社訪問、ルマンレース観戦、インディーレース観戦、タルガフロリオツアー等々...

ポルシェを通じて大変貴重な体験や出会いが出来た事は私の財産に成っております。

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オーナーの “ 独り言 ” Ⅱ

“ポルシェ“ とはどんな車・・・?

「フィルディナント・ポルシェの思想・哲学を追い求めた芸術である」

とポルシェ2代目会長であるフェリー・ポルシェが語っていました。

また、「単なる自動車ではなく一つの行き方を示す思想なのだ」

技術的にもデザインにおいても妥協が無く美しく個性的でドライバーが運転を楽しむ為に送り出された車です。

私は、メカニック時代にエンジンオーバーホールを何回も経験しました。

空冷時代のフラット6は日本の高温多湿な環境に耐えられなくなりオイル漏れがよく有る為、

エンジンを分解、クランクシャフトを取出し、シリンダーヘッドのカーボンを落としバルブの擦り合わせや

バルブガイドなどの交換をしました。

その時にいつも感動する事は、部品の出来の良さと美しさです。

どんな小さなパーツでも芸術性がありバランスが取れていて、惚れ惚れとした経験をさせていただきました。

その全体部品が見事に調和して組み上がった物が、エンジンの奏でるフラットシックスサウンドと成るのです。

メカニカルノイズ、クーリングファンの風を送る音やエキゾーストから噴出する乾いた排気音。

すべてポルシェオーナーの為にあるのです。

 

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「ミツワ」の歴史は日本のポルシェの歴史

1952年西ドイツで初めてポルシェの存在を知った在る日本人がミツワに輸入する様に依頼に来た事から

ポルシェとの出会いが始まります。

当時営業部長だった今は亡きO部長が私に言いました。

「こんな高い車が日本で売れるか!」

と、戦後の傷跡がまだ残っていた日本のマーケットに対する不安と

ポルシェの名前すらまったく知らない状況の中で高額なスポーツカーを販売するというのは

大変な決断だったと伺いました。

しかし、4台の356のオーダーを出したことがポルシェとの長いお付き合いの始まりでした。

ところが直ぐに日本政府が”贅沢禁止法”を発令したことで

正規輸入が出来なくなり1958年まで新車は輸入されませんでした。

ここに当時の三和自動車のコマーシャルを紹介いたします。

当時の所在地:東京都目黒区中根町226
※1963年のカーグラフィックに出した物です。

当時の価格

1600 Coupe ¥2,350,000
1600S Coupe ¥2,500,000
1600 Cabriolet ¥2,550,000
1600S Cabriolet ¥2,700,000
1600 S90 Coupe ¥2,750,000
1600 S90 Cabriolet ¥2,950,000

 

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三和自動車は1962年から西ドイツのポルシェ自動車の日本総代理店としての歴史が始まりました

三和自動車は1962年から西ドイツのポルシェ自動車の日本総代理店としての歴史が始まりました。
その当時、彼らはまさにポルシェセンターとしての役割を果たしており、取り扱い車種は356B T6ボディのクーペとカブリオレのみでした。

その後、CAR GRAPHIC 誌が創刊され、初号の最後のページには三和自動車株式会社の広告が掲載されました。これは61年以上にわたり、ポルシェというブランドの日本での先駆者としての役割を果たし、時代の流れを物語ってきました。
その広告には、

ポルシェに出逢えて、良かった。ポルシェを愛して、ほんとうによかった。
「愛するものがそばにいる。一緒にいられることがわかっている。
だから、その幸せを確かめたくて、こんな想像をしたこと、ありませんか。
「もし、ポルシェという車が存在しなかったら・・・・どうなっていたのだろう」

・・・・・最後には、

あなたと逢えてよかった。愛されてよかった。いつまでも一緒に走りましょうよ。

という誓いが述べられています。

(引用元: A Timeless Romance)

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ポルシェのオーナーをたずねて

1962年三和自動車株式会社(後にミツワ自動車株式会社)が最初に輸入した

356Bクーペ T2ボディーがこの車両です。

最初のオーナーは、日本ポルシェクラブ初代会長 大川又三郎

新車時付けたナンバーは変わらずそのまま残っています。

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当時の356BクーペSの価格は250万円

三和自動車株式会社の本社、目黒区中根町のショールームに356を展示をしてました。

当時の356BクーペSの価格は250万円。
1963年時代のサラリーマン平均年収が30万円でしたので、
2020年に置き換えると約15倍として3750万円相当になります
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